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2009年11月 3日 (火)

映画「沈まぬ太陽」を観てきました

 久しぶりに劇場で見る映画鑑賞である。「沈まぬ太陽」である。原作は言うまでもなく山崎豊子さんの全5巻2300ページを超える超長編小説である。1960年代から80年代の航空会社「国民航空」という設定である。その会社の労働組合委員長を務めた恩地元は、会社の左遷政策で10年近く中東やアフリカに飛ばされる。帰国して国民航空機が御巣鷹山に墜落し520名の犠牲者を出す。恩地は遺族係を命じられる。労働組合委員長として節を曲げず筋を通して闘った人生を描く。映画はもちろんフィクションと断っての上映であるが、御巣鷹山の大惨事ということからも分かるように日本航空がモデルであり、恩地は故・小倉貫太郎さんで元日航労組委員長であることは良く知られているところである。元は国が作った航空会社で民営化されたとは言っても国政とも深い関わりがあり、政府専用機などももっている航空会社の経営陣と労働者の軋轢、航空機という安全を保つことがなにより求められる所でのそれぞれの立場の人間の葛藤も描かれる。そのスケールの大きさ、地球規模での舞台、そして登場する航空機と空港の撮影などもあってか、映画化はとてもできないと言われたものらしいが、若松節郎監督、山崎豊子さんらの「いまこういう映画をつくらなければ」との思いで映画化されたと言う。3時間22分(途中10分休憩)という超大作である。正面のスクリーンはもちろん、左右と時には後部からも聞こえる立体音響の迫力も凄かった。導入部から行きなり85年8月12日夕刻の御巣鷹山での惨事がはじまる。なんと言っても実際には機体に異常が発生してから墜落まで30分以上あったと言われるだけに、映像でこのときの機内の様子が生々しかった。右に左にダッチロールするたびに同じ方向に揺れる酸素マスクの波、乗務員が必死でマスクの装置を点検し乗客に装着の仕方を指示する。子どもにもすばやく取り付ける姿。マスク姿で手帳に家族宛の遺書を書くサラリーマン。まさに地獄を目前にした機内の風景はすさまじいものだった。「もう、飛行機に乗るのは怖い」と思わず恐怖感がよぎったほどだ。夥しい棺を前に遺族係の恩地らは遺族の果てしない悲しみと対面する場面が涙を誘う。労働組合として恩地らがもっとも力を入れた要求は安全飛行に対する要求だったのにそれが今、死者からの無念を付きつけられているが長く続く遺族係のお世話に賢明に尽くす。事故後やがて新しく赴任してきた会長に抜擢され、恩地は会長室室長として、「安全飛行」のために尽くす。だが、また政治に翻弄されて会長は辞めさせられ、恩地もまたアフリカへ飛ばされる。だが恩地は「人間として誇りを表すために会社を辞めるわけにはいかない。おれの『矜持』が許さない」と踏ん張る。最後まで自分なりの正義は守るという人間の尊厳さを見た思いがする。映画は405席の会場に半分以上観ていたが、エンディングの音楽と共に、キャスト、スタッフ、協力団体、個人などの名称が長く続く。恐らく3分か4分あっただろう。普通ならここで立ち上がってザワザワするところだが、そういう人はごくわずかで多くは照明が点灯するまで真剣な眼差しだった。きっと感動したのだろう。あの大惨事から24年、いま日航は経営危機に晒されている。長期先物買いやリゾート開発の失敗など放漫経営の声。過大な需要予測であちこちに空港を乱造し、採算が取れなくても路線を開かされる航空行政の歪み、米国からの圧力で航空機購入などなどが赤字の原因だとか…。航空行政のあり方を見直さなければ真の再建はないと言われる。大量の人員削減もうわさされているがこれは文字通り安全に直結する問題。安全と公共性の確保に向かって日航と政府の指導性が問われている。

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