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2009年12月13日 (日)

オバマ大統領にノーベル「平和」賞なら、日本をどう喝しないで

 オバマ米大統領がノーベル平和賞授賞式に出席して“言い訳演説”した。確かにプラハ演説で核廃絶演説した内容は世界に衝撃的なすばらしいものだった。しかし、演説だけで実績が何もないのではオバマ氏に限らずほかにいくらもいるだろう。また核廃絶や軍縮を呼びかけながらその舌の根もかわかないうちに、アフガニスタンへ3万人だかの増派を決めた直後の授賞式だから“言い訳”にならざるをえない。「平和の維持のため、戦争という手段には一定の役割がある」とか、「われわれは60年以上にわたり世界の安全保障を引き受けてきた」「世界の安全保障に対する米国の決意が揺らぐことはない」と自慢した。何が「安全保障」か。アメリカが世界に対して行なったのは、ベトナム戦争であり、イラク戦争であり、湾岸戦争、アフガン戦争と次から次へ軍事的なチョッカイを出し、膨大な人間を殺害し、身体的障害者を生み、食料や住居を奪い、挙句の果ては戦争という最悪のCO2をばらまいておいて「安全保障」とは呆れる。そういう米国の軍事的存在を誇ってノーベル平和賞受賞というのでは「平和賞」が泣く。いかにも「正義の戦争」と言いたいらしいが「正義」か「不正義」か誰が判断するのか。アメリカが勝手に判断するだけだろう。これでは「戦争のブッシュ」に限りなく近づき「戦争のオバマ」になりかねない。ニューヨークでは「NO PEACE PRIZE TO WAR PRESIDENT(戦争大統領に平和賞はノー)」とデモが起こり、米CNNテレビの世論調査で、大統領が平和賞受賞にふさわしいと考える米国民は19%で、10月の受賞決定時から13ポイントも下落したというのも当然だろう。せっかくの「核軍縮」宣言に失望感広がることはまちがいないだろう。

 いま焦点になっている沖縄の普天間基地問題でも、そうしたオバマ大統領の黒い影が大きくなりつつある。普天間基地問題でゲーツ米国防長官やルース駐日米大使に続いて、またも米国の「どう喝」である。キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が、今月18日までに日本が現行計画(辺野古への移設)で結論を出せと迫ってきたのである。そうすれば「米海兵隊の一部を静岡の東富士演習場に移転し負担軽減してやる」と言い、さもなくば来年2月からの海兵隊のグアム移転の予算も組まない旨の脅しである。報道にあるように、すでにグアム移転費の日本負担分を受け取っておきながらなんという言い草だろうか。グアムへ米兵のための一戸6000万~8000万円もの豪華住宅建設など負担する費用である。またアメリカは「負担を軽減」などというが実は普天間の老朽化した基地よりも日本の税金で辺野古へ最新鋭の基地を建設するのが狙いである。沖縄県民にはなんの負担軽減にもならず、アメリカにとってのみ都合のよい基地強化なのだ。だからこそ沖縄県民は反対し、無条件で普天間基地撤去を求めているのである。その根底にあるのが安保条約であり、沖縄県では「安保を見直せ」と言う世論が過半数になっているのである。普天間の大激動で鳩山政権は大迷走しているが、基地の移設先を探すことより、普天間の基地撤去こそ大道であり、遠いようでも一番の近道であり、そのことを日本が言う権利もあるのが安保条約だ。条約第10条には締約国のどちらかが一方的に廃棄を通告すれば、その一年後に廃棄されることが決められている。ということは廃棄に至らなくとも、言うべきことは言う権利がある。普天間基地の辺野古移設は日米の合意事項だというが、それは日本の旧政権との合意だ。政権が交代したら当然対等の立場で国家と国家がお互いに尊重し協議するのが国際社会の常識だ。それをアメリカが一方的に「どう喝」する権利はないし、「どう喝」された側が「ハイハイ」と言いなりになる必要もない。宜野湾市のド真ん中の市街地上空まで制圧され、危険との隣り合わせという、アメリカ本土では通用しない世界一危険な普天間基地を撤去するのは人道的問題でもある。日本政府はきっぱりと無条件撤去でアメリカと堂々と協議するべきだ。オバマ大統領がノーベル「平和」賞を受賞したのだから、日本にムチを振るうことはできないはず。そういうことをマスメディアはもっともっとキャンペーンすべきだ。日本の米軍基地は日本防衛ではなく、アメリカが世界への侵略の拠点にされているだけなのだから。

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