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2010年4月 1日 (木)

ビラ配布、されど大きな意義もつ判決

 

3月29日、30日、注目すべき裁判と時効を迎えた事件があった。29日、東京高裁での裁判は、国家公務員が休日に職場と遠く離れた自宅周辺で、政党のビラを住宅のポストに配布しただけで一審の東京地裁で犯罪とされた奇異な事件の二審の高裁判決。03年の総選挙で「しんぶん赤旗」号外として、共産党の見解を載せた普通の政策ビラ配布で元社会保険庁職員が逮捕、起訴され裁判が続いていた。いわゆる国公法弾圧堀越事件である。警視庁公安部がのべ171人もの警官を動員して、1ヶ月間にわたって堀越さんを尾行・監視し、ビデオで撮影するなど、プライバシーと人権を侵害していたもの。一審の東京地裁で国家公務員法違反として罰金10万円、執行猶予2年という判決だった。しかし、29日の東京高裁での判決は、「このような被告の行為を刑事罰に処することは、表現の自由を保障した憲法に違反する」として逆転無罪判決を下したのだ。国家公務員法の政治活動の制限そのものは「合憲」とする不十分さはあるものの、今日では国民の意識は変化し、表現の自由は特に重要だという認識が深まっていると指摘。勤務時間外まで全面的に政治活動を禁止するのは、規制が不必要に広すぎるとした。国家公務員法という政治活動の規制は、戦後すぐの1948年、GHQ(連合国軍総司令部)によって押し付けられた古いものであり、当時の政府や法務官僚でさえ抵抗したが力づくで押し付けられた曰くつきだということである。2年後の1950年制定の地方公務員法制定の際には政治活動にたいする刑事罰規定がはずされている。おしつけたアメリカの法律でさえ、すでに全面的に改められアメリカでは公務員の政治活動は自由である。だから、東京地裁の有罪判決が出されたあと、学者・文化人や法曹界、そして広範な国民などから批判が高まるとともに、国連の自由権規約委員会も08年10月に「自由権規約で保障されている政治活動を、警察、検察官、裁判所が過度に制約しないように、表現の自由と参政権に対して課されたいかなる非合理な法律上の制約をも廃止すべきである」と、日本政府に勧告しているほどである。公務員・民間人問わず、1市民としてビラ配布その他の政治活動を行なうのは自由であり、公務員の政治活動の禁止は、公務の公正な執行を妨げられるというのが理由であり、休日に単独で無言で行なった行為は私人としてであり、政治的に影響を与えるような幹部でもなく、本来の公務には支障を来たしていないのは明白だ。各紙も「時代にあう当然の判断だ」(朝日)、「妥当な判断ではないだろうか」(「毎日」)、「多い日には10人以上の警察官が出動し、たった一人の尾行に使われた。私生活に踏み込む執拗さは、戦時中に戻ったような感覚さえ抱かせる」(「東京」)とある。世界でもイギリス、フランス、ドイツなど先進国は職務に影響を与えない政治活動は自由だと言う。東京高裁の判断は日本が諸外国と比べ制約が厳しすぎることを認め、憲法21条「表現の自由」に違反するとしたのは画期的な意義がある。堀越さんの一審による判例はこれまで一人も起訴された例はないと言われるのだ。それにしても大勢の警察官で1ヶ月間も尾行し、ビデオ33本にも及ぶ不当な捜査は、あきらかに共産党弾圧だったのだろう。それに使われた人、金、時間は、それこそ「納税者として警視庁に言いたい。『税金の使い方がおかしくないですか』と」…と言いたいことを東京新聞「筆洗」が代弁してくれている。同じ警視庁関連では、1995年に国松孝次警察庁長官(当時)の銃撃事件について30日時効が成立した。警察のトップが瀕死の銃撃をされたのだからメンツにかけて捜査しただろう。しかし、十五年の時効にあたっての警視庁会見でオウム真理教の計画的、組織的テロであったと断定した。立件もしていないのに団体を特定すると言うのは異例のこと。オウムだと決め付けながら証拠不十分だ、なんてなにやら悔し紛れの捨て台詞みたいじゃないの?

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